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地面とつながっているよし笛

よし笛を習う縁ができました。

以前練習し始めた篠笛は、何とか音を根性で出そうとするばかりに、息を吹き込みすぎて頭がくらくら。いっこうに澄んだ音が出なくて、“こりゃあ自分の唇の形に問題あり(>_<)!”などといいわけをしてあきらめていました。が、その矢先。よし笛教室開催の情報を(なんと、音楽の世界からは遠いところに住んでいた父から)得、よし笛と出会うことができました。

なんと言っても音が素朴。よしには水を浄化する働きがあるから、そのよしからできたよし笛は、人々の心を浄化する働きがあるのではないか…と、今日、よし笛の先生がおっしゃっていました。たしかに。今日の私の心は、いつもより少しきれいかも。

そして、初心者でも(音の質はどうであれ)すぐ音が出る。これもよし笛の大きな魅力です。リコーダー世代にはわかりやすい運指で、好きな曲を吹いているといつの間にか時間があっという間に過ぎていることに。(近所のみなさん、特にネコさん、惑わせてごめんなさい。)

私がよし笛を吹いてみて、感じることは、『地面とつながっている楽器』ということ。

以前、とても天気がよくて空気の澄んだの秋の夕方に、波も風も穏やかな静かな湖岸で、むしょうによし笛を吹きたくなり、『里の秋』を吹いてみたのです。そうしたら、笛の音と琵琶湖そのものとが共鳴しているような、おごそかというのかな、不思議な感覚に包まれました。おまけにね、とんびの群れがやって来て、私の頭の上で旋回するのがあまりにすてきで。あぁ、ここで、今、私は地球とつながっているんだな、って。琵琶湖のほとりで生まれ育ったよしが生んだ音だから、こんなことが起こるんだなぁと感動した日がありました。

おまけに、私自身も、琵琶湖のほとりで生まれ育ったから、この日のことがこんなに心に残ったのだろうと思います。

さて、父は、というと、トンビの鳴き声そのものの音を出しながら、笛と悪戦苦闘しております。根性で音は出ないという、私が篠笛から教わったことをそのまま父に伝えたいと思うのですが。それと、私の篠笛のように、あきらめないでガンバロウ、とも。

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三宅の楽しみ

ふくろうずでは、新年明けてから三宅太鼓の練習が再開。

それまで打っていた曲が、テンポの速いノリのいい曲!…と思って選んだのに、なぜかそれにノリきれず、とほほほほ………という状態が長く続きました。一年間(しぶしぶ?)練習し、やっと何とか形になり、継続して練習していきながらも次の曲を…ということで、三宅に戻ってきたわけです。

三宅はきつい。

でもなぜか、みんなの表情が明るいのです。なんでかな。

思えば私自身も、太鼓を打ち始めた当初、三宅太鼓の魅力にどっぷりはまっていたなぁ。手の皮が何枚もめくれ、左の肩にバチの当たった青あざ作り、もちろん手足は筋肉痛、汗がしたたり落ちるくらい、たたいてたたいて、たたき続けた太鼓です。あの頃は、三宅太鼓をたたくことで生きている実感を得ていました。三宅太鼓には、地中のエネルギーを結集し、魂の再生を促す響きがあるような…と、何だかきどった言い方をしちゃいましたが、つまりは、打てば心地よいということです。涙がでるくらい、生きてることがたまらなくすばらしいことと感じるくらい、心地よいということ。

そんな心地よさを共感したくて、また明日も三宅太鼓の練習に励みます。

地打ちのテンポをアップしたり、時間を長引かせたりするのは、意地悪からじゃないからね。ともに、三宅で人生に酔いましょう!

でも、願わくば、本物の三宅太鼓が見たいし、教えていただきたいものです。これは生きている間にかなえたいリストに挙げるとしたら、かなり上位です。

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太鼓たたこう2006!

新年が明けました。

毎年何気なく新年を迎えていますが、明らかに人生の折り返し地点は過ぎました。(折り返し地点だなんて勝手に思いこんでいるけれど、あと半分もあるのかどうかなんてわからない…図々しいかぎりですなぁ。)体のあちらこちらから悲鳴?ともとれる声を聞くこともしばしば。そう考えると、太鼓を思い切り打てるのもさてあとどれくらいかと思ったりします。

でも、まぁ、その歳その歳に応じた太鼓をたたき、近くにいる人たちとともに時間の積み木をひとつずつ積み重ねていけたらなぁ、そうやって暮らしていけたらこんなにしあわせなこともないと思ってます。

ということで、できれば今年は太鼓日記、がんばります。

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